Arabesque / アラベスク

Arabesque / アラベスク
Biography

アラベスク (Arabesque) は、1977年にデビューし、1984年頃まで活動した西ドイツ(当時)の音楽プロジェクトである。
竹の子族などの支持もあり、80年代前期の日本における洋楽の人気の牽引車となり、日本発の人気は韓国・中国語圏などアジアにまで広がった。

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Arabesque / アラベスクのシングル

『ハロー・ミスター・モンキー』Hello Mr.Monkey -『バギーボーイ』 Buggy Boy (1978)
『フライデイ・ナイト』Fryday Night -『貴方を待って』 Someone The Waiting For You (1978)
『フライ・ハイ』Fly High Little Butterfly -『ギブ・イット・アップ』 Give It Up (1979)
『今夜もロック・ミー』Rock Me After Midnight -『ディスコ・フィーバー』 In The Heat Of The Disco Night (1979)
『ペパーミント・ジャック』Peppermint Jack -『ルシファーズ・ラバー』 Lucifer’s Lover (1979)
『ハイ・ライフ』High Life -『ローラー・スター』 Roller Star (1980)
『恋のペントハウス』Parties In A Penthouse -『ジングル・ジャングル・ジョー』 Jingle Jangle Joe (1980)
『さわやかメイク・ラブ』Make Love Whenever You Can -『ひとりぼっちの朝食』 I Dont Wanna Have Breakfast With You (1980)
『ミッドナイト・ダンサー』Midnight Dancer -『狼に気をつけて』 Keep The Wolf From The Door (1981)
『恋にメリーゴーランド』In For A Penny In For A Pound -『私のナイス・ヒーロー』 The Hero Of My Life (1981)
『ビリーズ・バーベキュー』Billy’s Barbeque -『インディオ・ボーイ』 Indio Boy (1981)
『幸せのジャックポット』Hit The Jackpot -『フラッシュ・イン・ザ・パン』 A Flash In The Pan (1981)
『キャバレーロに夢中』Caballero -『愛しのストーリー・テラー』 Tall Story Teller (1982)
『ヤング・ファースト・ラブ』Young Fingers Get Burnt -『ザンジバル』 Zanzibar (1982)
『愛のリプライ』Why No Reply -『ディスカバー・ミー』 Discover Me (1982)
『あの愛をもう一度』Pack It Up -『ステューピッド・ボーイズ』 Stupid Boys (1983)
『気分もエアロビック』Dance Dance Dance -『サンライズ・イン・ユア・アイズ』 Sunrise In Your Eyes (1983)
『恋のルーザー』Loser Pays The Piper -『天使と悪魔』 Angel Face (1983)
『ハート・オン・ファイア』Heart On Fire -『それならムーヴ・オン』 You Better Get Move On (1984)
『恋はナイト・アンド・デイ』Time To Say -Good Bye- -『サンセット・イン・ニューヨーク』 Sunset In Newyork (1985)
※邦題付の曲のみ表記

Arabesque / アラベスクのオリジナル・アルバム

  1. アラベスク・ファースト』 – Friday Night (1978.12.5)(日・独ともに1st)
  2. ペパーミント・ジャック』 – City Cats (1979.10.25)(日・独とも2nd)
  3. ハイ・ライフ』 – Marigot Bay (1980.5.21)(日・独とも3rd)
  4. さわやかメイク・ラブ』 – Arabesque IV (1980.12.5)(日本4th)
  5. ビリーズ・バーベキュー』 – Arabesque V (1981.8.21)(日本5th)
  6. In For A Penny (1981)(独4th。日本盤『さわやかメイク・ラブ』『ビリーズ・バーベキュー』からの編集盤。ドイツでの最後のオリジナルアルバム)
  7. キャバレーロに夢中』 – Caballero (1982.4)(日本6th) *裏ジャケにキーボード:マイケル・クレテュ、ギター:マッツ・ビョークランド(「ザンジバル」、「シークレット・ランド/サンドラ」共作者)の記載
  8. 愛のリプライ』 – Why No Reply : Arabesque VII (1982.12)(日本7th)
  9. 恋のルーザー』 – Arabesque VIII (1983.12)(日本8th)
  10. 恋はナイト・アンド・デイ』 – Time To Say ‘Good-Bye’ (1984.12.16)(日本9th。ラスト・アルバム)

Arabesque / アラベスクの活動

1977年、西ドイツの実業家であるヴォルフガング・メーヴェス(Wolfgang Mewes)は、当時ドイツから世界に向けてヒットを連発していたボニーMに触発されて、自らもボニーMのようなプロジェクトを作りたいと思い立ち、傘下の音楽出版社でプロジェクトチームを組み、プロトタイプとして「ハロー・ミスター・モンキー」を制作、世界各地に売り込みをかける。

1978年、日本のビクター音楽産業が、「ハロー・ミスター・モンキー」の日本での発売権を獲得し、大ヒットを記録。このヒットによって、それまでいろいろな人物が入れ変わり立ち変わりしていた「アラベスク」は、音楽プロデューサーにジーン・フランクファーター(Jean Frankfurter)、シンガー・チームにサンドラ・アン・ラウアー(Sandra Anne Lauer)、ミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)、ジャスミン・エリザベス・フェッター(Jasmin Elisabeth Vetter)という固定したメンバーによるプロジェクトとして活動することとなる。

特に1979年から加入しメイン・ボーカルに起用された当時17歳だったサンドラ・アン・ラウアーは、美貌かつ小顔で手足が長いモデル体型の美女で、この頃の日本のアイドルにはいないタイプで人気を牽引した。

アラベスクの活動停止後、1982年の日本公演・6thアルバム『キャバレーロに夢中』に参加した、キーボード奏者・ソロアーティスト・プロデューサー(作品にはマイク・オールドフィールドの「アイランド」、ヒューバート・カーなど)として活動していたマイケル(ミヒャエル)・クレトゥのプロデュースでソロ・デビュー、1988年に結婚(現在は離婚)、エニグマ参加に至る。
アラベスクとしては長らく活動休止状態だったが、2006年12月、オリジナルメンバーのミシェーラ(Michaela Rose)をメインボーカルに新メンバー、ザビーネ・ケンパー(Sabine Kaemper)、ジルケ・ブラウナー(Silke Brauner)の3人がモスクワのレトロ・FMフェスティバルにゲスト出演し、往年の曲を披露した。世界ツアーやニューアルバムのリリースも噂されている。